k-fujikawa の紹介

詩人、児童文学作家。認知症の母の世界を描いて、十数年。介護も終わり、そろそろ時々つぶやいてみようかと。命や認知症について全国各地で講演中。著作に『マザー』『君を失って、言葉が生まれた』(ポプラ社)、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)、『やわらかな まっすぐ』(PHP出版)等。

彼岸花の話◆詩「返す」

◆秋に咲く花には、ダリア、コスモス、菊、リンドウなど数多があるが、私は中でも彼岸花を写真に撮ることが多い。◆「彼岸」とは向こう岸に広がる生死を超越した悟りの世界のことだが、これに対して迷いと悩みの多いこちら側の現実世界のことを「此岸(しがん)」という。彼岸花とは、この現実世界に咲いたあの世の美しい花ということなのだろう。◆彼岸花をシビトバナと忌み嫌う人もいるが、私はこの花を見ると亡くなった人ばかりではなく、これまで出会いお世話になった人達のことを思い出す。◆あなたが私の中に咲いている。あなたが私となって咲いていると、どこか人のすっくと立つ姿に似た彼岸花を一本一本見つめながら、これまでこの此岸でこの私とつながりのあった人達のことを、この人達のお陰でやっとここまでたどり着けたと思い出すのだ。◆今日は、詩「返す」を。
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返す
  藤川幸之助
自分が死ぬわけでもないのに
何でこんなにつらいのだろうか
苦しそうな母を見ると
もう死なせてあげたいと思う
いやずっと生きていてほしいと願う
母の生を見守っていたいと思いながらも
母の死に目を背けたい気持ちになる
認知症になって二十四年
母さん本当のところを言うとおれも
もうすっかりくたびれ果てているんだ

どちらが母は楽でしょうかと聞くと
「どちらを選んでも同じです
 死ぬときは誰でも苦しむんです」
と、医師は答えた
「生まれてくるとき苦しんで
 泣き叫んで生まれてくるのと同じです」
と、医師は付け加えた
あの世との行き来は大変だ

難産だったらしく
私は驚くほど大きな泣き声で
生まれてきたと母から聞いたことがある
男である私には分かるはずもないが
母の産みの苦しみは計り知れない

この大きな大きな
宇宙の子宮の中から
さあ今度は私が母さんを
あの世へお返ししますよ
こちらも難産らしく
母は驚くほど大きな泣き声をあげる
男である私にも分かる
母を返す苦しみも計り知れない

©FUJIKAWA Konosuke
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詩「戦争」

◆今日は詩「戦争」を。
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戦争   
       藤川幸之助
先の戦争で
重爆撃機に乗っていた父が
「戦争に勝ち負けなどなく
戦争それ自体が負けなんだ」
と、自分が豆粒のように映る
学徒出陣のテレビ画面を
見つめてぽつりと言った

ひとつながりの
ひとつの海を違う岸辺から
見つめているだけだというのに
自分の体に線を引き
自分の右手で
自分の左足を痛めつけ
歩けなくなっていくというのに
目はじっとそれを見ている
自分の左手が
自分の右手を切り落とし
つかめなくなっているというのに
口は何も言わない

逃げ惑う人々
泣き叫ぶ子どもたち
破壊され続ける街
人知れず朽ち消えていく命
人類はまた
負けてしまった

「お母さんの命を必死に守るのは
あの戦争の償いでもあるんだ」
とでも言っているかのように
ただせっせせっせと
戦争で人を殺した同じ手で
毎日、認知症の母のおしめを替えて
小さな一つの命を必死に守り
小さなアパートで
父は生涯を終えた

©FUJIKAWA Konosuke

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詩「俯瞰」◆「わたし大賞」募集

◆一年を一生に喩えるなら、春に生まれ・育ち、夏に励み・働き、秋に振り返り・記し、冬には終わりに向かい、命をつなぐ、という感じでしょうか。秋には特に多くの詩が私の頭の中に浮かぶのはこのせいのような気もします。秋になってもこの夏の暑さは、まだまだしっかりと励み・働けと言われてるようでもあります。◆さて、今年も私が選定員をしている三井住友信託銀行主催の「わたし大賞」の募集がはじまりました。心を動かした人・モノ・コトとのエピソードを書き、賞状を贈るというもの。この秋に人生を振り返りながら書かれてみてはいかがでしょうか。◆募集要項の私のプロフィールにも書いていますが、「忘れられないあの思い出は、今の自分の人生をどのように照らしているか。今ここに命のあることの喜びと幸せを、人のつながりの豊かさと生きることのすばらしさを、作品を通して今年も深く感じさせていただきたいと思っています。」ご応募お待ちしています。◆今日は詩「俯瞰」。

三井住友信託銀行主催の「わたし大賞」の募集詳細は以下
https://www.smtb.jp/personal/blind/watashi-taishou

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俯瞰
  藤川幸之助
母がなくなって
行かなくなった場所がある
母がなくなって
通らなくなった道がある
母がいなくなって
会わなくなった人たちがいる
母がなくなって
歌わなくなった歌もある

そして、母がいなくなって
毎日上るようになった坂もあって
上って見下ろすと
私の住むところも
母の入院していた病院も
すっかり俯瞰できるのだ

母が認知症になって
あんなに小さな箱と箱の間を
何度行ったり来たりしたことか
あんなに小さな箱の中の
小粒ほどの私の中の心の中に
いろんな思いを抱えて
いく筋もの感情が吹き出して
悩み、苛立ち、落ち込み、
泣いて、時にはホッとして

「俯瞰」という言葉を
教えてくれたのも母だった
鳥のように高いところから見ると
見えないものもしっかりと見えるのよと
今日も丘に上り見下ろす
この私よりもっと高くに上って
母さん、何が見えますか?
どんなことが分かりますか?

©FUJIKAWA Konosuke
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葡萄と俳句◆詩「袋」

◆「一つもぎ 一つ先見ゆ 葡萄かな 幸之助」これは、葡萄を送ってくれた叔母へのお礼の葉書に書いた俳句だ。左手でつまんで目の前にぶら下げ、右手でもいで食べていると、葡萄の向こう側が少しずつ見えてくる。◆もう、この私は葡萄を三分の二ほど食べた頃か。SNSで文を書かないと死んでいるのではないかと問い合わせがくるようになった。だから、今日は少々焦っての投稿になった。◆今日は詩「袋」を。
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  藤川幸之助
母が入院したときに買った袋
その場しのぎで二百円で買ったが
母が亡くなるまで十六年も使った
母はよく高熱を出し
年に二、三度は入院した
その度ごとに今度だけでも
どうにか乗り越えてくれと祈り
取る物も取り敢えず
この袋に詰め込んで病院へ駆けつけた

母を認知症の施設に入れた時も
母の名をマジックで書き入れた
下着やパジャマ
タオルや日用品を詰め込んで
この袋を右手にもち
左手で母の手を握って
施設の門をくぐった
母は汗かきで
毎日のように洗濯物を持って帰り
洗ってたたんで入れてまた運んだ
母はベッドに寝て
夕刻私がこの袋を運ぶまで
じっと天井を見つめていると聞いた

いつの頃からか私は母を
「お袋」と呼んでいたが
この「袋」は子宮のことらしい
母が死んで病院から
母の物を持ち帰ったのも
この袋だった
入っていたこの私を独り残して
空っぽになった袋が
今は入れる物もなくじっとしている

©FUJIKAWA Konosuke
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詩「領収書」◆第25回認知症ケア学会・特別講演5

◆6月15日(土)、16日(日)に東京国際フォーラムで「第25回認知症ケア学会大会」が開催されます。私は大会の「特別講演5」で、6月16日(日)10時30分〜12時【第1会場・ホールA 】「認知症の人と「この今」を生きる;その存在に耳をすますということ」という演題で詩の朗読を交えながら講演をします。この【ホールA】というのが5,012席の大ホールで私には少々荷が重いのですが、心を込めてお話しをさせていただきます。是非聞きに来られてください。
https://ninchisyoucare.com/taikai/25kai/index.html
◆今日の詩は「領収書」。母の介護半ばになくなった父は、紫陽花の季節が大好きだった。心臓の病を患っていた父は、「おれの最後の大切な仕事だ」と言って、命がけで母の介護をした。母を支えたのは父だったけれど、父もまた認知症の母に生き甲斐を与えられ、母に生かされていたようにも思うのだ。◆詩人の谷川俊太郎さんは、この詩について「僕は「誠実なる生活」とお父様がノートに書いていたっていうエピソードに感動しました。(中略)他者の存在によって自分が変わっていくということは、すごく素敵なことです。」*1と、2008年の私との対談で語った。*1『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
IMGP7250-18のコピー
領収証
    藤川幸之助
父は
おしめ一つ買うにも
弁当を二つ買うにも
領収証をもらった
そして
帰ってからノートに明細を書いた
「二人でためたお金だもの
 母さんが理解できなくても
 母さんに見せないといけないから」
と領収証をノートの終わりに貼る父
そのノートの始まりには
墨で「誠実なる生活」と父は書いていた

私も領収証をもらう
そして母のノートの終わりに貼る
母には理解できないだろうけれど
母へ見せるために
死んでしまったけれど
父へ見せるために
アルツハイマーの薬ができたら
母に飲ませるんだと
父が誠実な生活をして
貯めたわずかばかりのお金を
母の代わりに預かる
母が死んで
父に出会ったとき
「二人のお金はこんな風に使いましたよ」
と母がきちんと言えるように
領収証を切ってもらう

私はノートの始めに
「母を幸せにするために」
と書いている
  
『支える側が支えられ
   生かされていく』致知出版より
◆みなさま、宜しければ「シェア」をしていただければ幸甚です。
©FUJIKAWA Konosuke
【詩・文・写真】藤川幸之助
#藤川幸之助 #認知症ケア学会