詩「バス停のイス」◆人を支える

バス停のイス
藤川幸之助

バス停にほったらかしの
雨ざらしのあの木のイス。
今にもバラバラに
ほどけてしまいそうな
あのイス。

バスを待つ人を座らせ
歩き疲れた老人を憩(いこ)わせ
バスに乗らない若者の談笑につきあい
時にはじゃま者扱いされ
けっとばされ
毎日のように
学校帰りの子どもを楽しませる。

支える。
支える。
崩(くず)れていく自分を
必死に支えながらも
人を支え続け
「それが私なんだもの」とつぶやく。

そのイスに座り
そのつぶやきが聞こえた日は
どれだけ人を愛したかを
一日の終わり静かに考える。
少しばかり木のイスの余韻(よいん)を
尻のあたりに感じながら
〈愛〉の形について考える。
©Konosuke Fujikawa
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
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多くの方々に詩を読んでいただければと思っています。

言葉8
■自分の意に染まない状況になると、全く受け入れることなしに、そこから逃げることばかり考えた。母の介護をすることになったときも、そうだった。何で私ばかりこんな役が回ってくるのかと、いつも悶々としていた。この詩は、そんな時に、バスの中から見た光景。壊れかけたイス数脚。それに腰掛け、数人の若者が談笑していた。イスは、人を腰掛けさせ、人を支えるためだけに生まれてくる。もしも、私がイスに生まれていたら、「それが私なんだもの」と言えるはずもなく、いつも恨み言ばかりだろうなあと思った。しかし、逃げようともがきながらも、認知症の母の世話をしているうちに、私の人生から「人を支えること」を差し引いたら、何も残らないと思った。この詩を書くことでさえ、人を支えるときがあるではないか。イスだけではなく、人もまた人を支えるために生まれ、人と関わり、人を支え、つながることで、人は人となり得ていくのだ。イスを見て、いつもその思いを確かめる。
©Konosuke Fujikawa【詩・文*藤川幸之助】
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