詩「母に会うときは」◆30年分まとめて自選・新詩集

◆現在6年ぶりに詩集を編んでいる。最初の母の詩集「マザー」から19年がたった。その間に11冊の詩集を出した。そろそろ絶版の詩集もぞろぞろと出てきたので、これまでの30年間で書きためてきた母の詩篇をまとめた詩集を致知出版社から出すことになった。◆これまで詩集に掲載した詩、雑誌に書き下ろした詩、未発表の詩をあわせると、母の詩だけで500篇をこえる。その中から150篇ほどを選んだ。私の場合、本を作るときは原稿を編集者の方に渡して全て丸投げするのがほとんどだが、30年間のまとめの詩集となれば話は別だ。今回ばかりはと一念発起して2ヶ月間、寝る間も惜しんで自選して、今やっと60篇ほどの詩集にまとまろうとしている。◆これまでは認知症の母を目の当たりにしてリアルタイムに詩集を作っていたので気がつかなかったが、この30年分の詩を一篇一篇読み進めていくと、まるで子どもの成長のように認知症の母を前に時を追って変化していく自分自身の姿があらわになっていくのだ。その時々で、自分自身のことなのに母が亡くなって現在では理解がつかないような思いや、命を前にした生々しい感情が垣間見えるのだ。◆今日は、今のところその自選詩集に入れる予定の詩「母に会うときは」を。©Konosuke Fujikawa
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母に会うときは
         藤川幸之助
朝に母に会うときは
「おはようございます」と言う
昼に会うときは
「こんにちは」と言い
夜には
「こんばんは」と頭を下げ
寝るときには
「お休みなさい」を忘れない
言葉がないから
母に心がないわけではない

正月には
「あけましておめでとうございます」
と正座して母に向かい
母は食事はしないけれど
母の箸を用意し
縁起の良さそうな袋に入れて
母の前に置く
母の雑煮
母にお屠蘇
何も分からないから
何もしないで良いとは思わない

母が昔のままそのままの
認知症なんてどこにもない顔で
じっと私を見つめる時がある
私を産み育てた母そのままの
叱りつけるような厳しい目で
私を見つめる時がある
母の存在が
言葉のない世界から
私をじっと見つめている
そんな時がある
©Konosuke Fujikawa【詩・写真・文*藤川幸之助】

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