心の壁*詩「やま」

◆今日の「やま」という詩は、ドイツ再統一の前後に書いた覚えがある。まだ二十代の頃だった。若い頃の作なので忘れてしまったが、国と国との間、人と人との間の壁は人の心が作るのだと言いたかったのかもしれない。◆しばらくして母が認知症だと分かった。私は徘徊などの奇行を繰り返す母を見て、あちら側に母は行ってしまったと思った。そして、自分は正常なこちら側の世界にいるのだと、母との間に大きな「やま」のような壁を作ったのだ。◆その壁に風穴を開けてくれたのが、「お母さんが奇声を発したり、ウロウロと徘徊をするこの姿は、お母さんが病気を抱えながらも必死に生きる姿なんだ。お前の母親が必死に生きる姿なんだ。」という父の言葉だった。◆それから二十数年、この言葉を頼りに壁に少しずつ穴を広げてきたように思う。母とともに必死に生きることで、母の痛みを自分のこととして感じるようになった。言葉にならない叫びや思いが、母の命に潜んでいることを感じるようになった。自分の生を生き抜こうとしている点では、私と母は何ら変わりないと思うようになった。そして、いつの間にか壁はなくなり、母と私は同じこちら側に立っていたのだ。ともに生きるとはこういうことなのだと思う。今日はその「やま」という詩をどうぞ。

やま
           藤川幸之助
さんぜんねんまえから
やまはしっていた
こちらがわのひとが
あちらがわのひとに
あこがれていることを
あちらがわのひとも
こちらがわのひとに
あこがれていることを
やまはじぶんのことを
うんめいのようだとおもっていた

にせんねんまえから
やまはまっていた
こちらがわのひとが
このじぶんをこえて
あちらがわにいくことを
あちらがわのひとも
このじぶんをこえて
こちらがわにたどりつくことを
やまはじぶんのことを
しれんのようだとおもっていた

せんねんまえから
やまはまちのぞんでいた
こちらがわのひとが
このじぶんをほりすすんで
あちらがわにいくことを
あちらがわのひとも
このじぶんをほりくずして
こちらがわにたどりつくことを
やまはじぶんのことを
きぼうのようだとおもっていた

こちらがわがあちらがわになり
あちらがわがこちらがわになり
こっちもあっちもなくなって
あきのひかりのなか
やまはわらっていた
わらったあとやまはおもった
あとはひとのこころのなかの
こっちとあっちがなくなるだけだと
やまはじぶんのことを
てつがくのようだとおもった
       未刊詩集『おならのいきがい』より
DSC_9644