一筋の春風*詩「桜」

◆私の住む長崎ではツツジが開きはじめたが、今日、北海道の南端の松前町で桜が開花したと聞いた。春は始まりの季節。新たに志を抱きながらも、これから始まることへの不安を抱える季節でもある。だから、人は桜の花の淡い色に、人それぞれいろんな思い出や思いを重ねるのだろうか。◆3月の頭ぐらいから左目が見えづらくなった。歪んで見えたり欠けて見えたりしたので病院に行くと、原因が分からないと大学病院で再検査をしたが、なかなか原因が分からない。4月に入っても検査検査の繰り返しで、桜のことなどすっかり忘れていた。◆その日も、検査のため大学病院へ続く坂道を登っていると、たまさかに坂の上からの一筋の風が吹き、私は花吹雪に包まれた。目が見えづらいときにこんなに美しい春の色に包まれるとは皮肉なことだが、春は見るものではなく感じるものだと改めて感じた。今年の病院のこの桜との事をいつか思い出すことがあるのかもしれない。◆認知症の母の介護は24年間。私の人生のだいたい半分は、母の病気につきあってきたことになる。春になるごとに、毎年毎年今年が最後になるかもしれないと思いながら、母を花見に連れて行った。だから、春の桜の思い出は母とのが多いのも至極当たり前のこと。母が亡くなってもう5回目の春だというのに、淡い桜の花びらを見るとまだまだ母を思い出す。今日は、詩「桜」を。2017/04/24藤川幸之助

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         藤川幸之助
目の前の春は一つでした
目の前の桜も一本でした
母が認知症になる前は

今、私には桜の花びらが
幾重にも重なって見えます
今年の桜の花びら
その奥に去年の桜
そのまた奥におととしの桜
その一番奥には
母が認知症になった二十一年前の桜
鮮やかにはらはらと
重なり重なり散っています

それらの春の花見のどこかで
ウロウロしている母に
「母さん、どこへ行くの?」って
聞いたこことがありました
「お墓へ行きます」
と、母が言うと
「いっしょに行くぞ、母さん」
と、父は笑って言っていました

そんな父がふと
春になると
魂のような淡い色で
桜の枝に現れるのです
それまでどこに桜の樹があるのかさえ
すっかり忘れていたのに
だから、本当は嫌いなんです
この季節が
父が母を迎えに来ているようで
言葉のない母の心の
本当のところを見るようで
     藤川幸之助詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)